そうして、その日も遅くまで別室で猫語の特訓を続け、成果は上がらず日は昇り、次の日、学園祭の設営を終え、あるいは自衛軍の部隊展開を指揮したあとで——沖は、また生徒会室に戻った。
もちろん、猫語の特訓のためである。
「ごしゅじんにゃにゃ——にゃにゃ——にゃ——」
だが、学園祭まで、時間がない。
徹夜の特訓もむなしく、もう夜明けが近かった。
あと数刻の間に猫語をマスターできねば、沖は醜態をさらすであろう。
沖の恥は、すなわちメイド喫茶の恥、生徒会の恥である。
そうなれば、漫画研究部の予想どおり、生徒会メイド喫茶は、魔女喫茶の前に為す術もなく敗れ去るであろう。
それだけは、絶対に、避けねばならない。
「な、なんとかせねば——」
これだけの時間をかけて無理だったものが、あと、数時間で突然できるようになる。
それを信じられるほど、沖は夢想家ではなかった。
どうにかせねば——何か別の方法を——。
そう考えて、最初に思い浮かんだのは——
「——ユーマ……」
であった。
数週間前、天蓋を抜けて、突然、この街に落下してきた少年の名前である。
だが、なぜ彼を頼ろうと思ったのか。
その名を口にした理由が、沖には自分のことながら、まったく想像が付かなかった。
とにかくやることなす事、破天荒で、無謀で、命知らずな少年である。
だが、それゆえに時折、誰にもできないことを成し遂げるのではないか、と思わせてくれるところがある。そういう彼の姿を見ていたせいかもしれなかった。
だが、沖は、頭をふってそんな思いつきを追い出す。
彼は彼で、為すべきことがあるはずであった。今は頼れまい。
とすれば——。
それもまた、気の迷いであったかも知れぬ。
続いて、沖の脳裏に浮かんだのは、一人の変人の姿だった。
「……二郎か——」
襟在二郎。
その名の通り、襟在二郎の兄弟、双子の弟である。
だが、似ているのは顔と体格だけ。それ以外は正反対と言ってよい。
元軍人であり、実直で誠実な現実主義者である一郎。
それに対し、自称・天才発明家というこの弟ときたら、科学と魔法の融合などという胡散臭い目標を掲げ、日夜、奇妙、奇っ怪、奇天烈な研究に勤しんでいる。
オカルト嫌いの沖にとっては、できれば近寄りたくない存在である。
だが問題は、彼の研究がそれなりの成果を上げてしまっていることであった。実際、すでに沖は彼に協力を要請している。明日の悪魔襲撃に向けた自衛軍の作戦は、彼の発明あってのものであった。
悪魔に、人間の兵器で対抗する。
この不可能を可能にした二郎であれば、あるいは、沖の問題もなんとかしてくれるかもしれなかった。少なくとも可能性はあった。
だが——。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」
沖は苦悩する。
沖は魔法やらなにやらといった非科学的なものが嫌いである。大嫌いである。
そんな怪しげな力に頼るのは、親の仇に向かって頭を下げるに等しい。屈辱であった。
だが沖は、すでにそれをした。悪魔を倒すために。伊都夏市のために。
ならば沖よ、と黒髪の猫耳メイドは自らに問う。
なぜ二度目ができぬ。
おまえ一人の失敗で、生徒会メイド喫茶を汚辱にまみれさせてよいのかと。
よいわけがなかった。
沖は——走り出した。
目明の街を、二郎の家へと向けて走り出した。
辿り着いた時には、日がすでに昇りはじめていた。
家の形からして、二郎の性格が表れていた。
それは、巨大な顔という他ない珍妙な形をした家屋であり、異様な雰囲気を周辺に撒き散らしていた。けして住宅事情に恵まれているとはいえない伊都夏市だというのに、周辺には空き地や空き家が目立った。
伊都夏市議会にかけあい、景観保護条例を制定せねばならんのではないか——。
おもわずそんな考えが浮かぶ。気持ちが萎えかける。
そんな自分を叱咤し「たのもー!」と、沖はその扉を叩いた。
「たのもー!」
数度の呼びかけのあと。
「うー、だれなのだ、こんな時間にー! ミラちゃんはまだお眠だぞー!」
眠そうに目を擦りながら現れたのは、パジャマ姿の少女。
魔女の一人、ミラだった。襟在二郎が保護者となっているのだ。
「って、かいちょー?! どしたのその服? ネコさん? メイドさん?」
言われて気づく。
沖の格好は、猫耳メイド服のままであった。
こんな格好で、街を全力疾走してしまったというのか。
思い返して恥ずかしくなる。だが、それはあとだ。
「ミラか——こんな時間に起こしてしまって申し訳ない。実は、二郎どのに用があるのだ」
「じいちゃはまだ寝てるよー。起きるまで、待てない?」
「ああ——沖が生きるか死ぬかが、かかっている——」
本心であった。
「うんわかったのさ。よーし、わかった、起こしてくる。じいちゃー!」
「ほほーう。なるほど、そういうことでしたか——」
そうして二郎宅の地下室。
広大な空間に、用途不明な大小様々なガラクタが並ぶそこは地下室というより巨大格納庫、あるいは特撮映画の大道具置き場といった様相を呈していたが、しかし、とにかく、そこで襟在二郎は頷いた。沖の話に、頷いた。
頷く二郎は、白衣に白ヒゲ。ここまではよい。だが、赤青黄色の原色をちりばめたベルトやメガネ。まるでピエロかチンドン屋。テレビ漫画に出てくる、イカれた科学者そっくりの人物であった。
目眩を感じつつも、沖は続ける。
「そうだ——無茶な頼みとは承知しておる。だが、どうか、力を貸してくれまいか——」
「なに、無茶も何も、簡単なことですじゃ!」
「か——かんたん?」
呆気にとられる沖を尻目に、二郎がガラクタの山から取り出したるは、沖のつけているのと同じような猫耳であった。
「こ、これは——?」
「ネコミミバンドですじゃ! これを頭にはめれば、あら不思議! あたかもそれがネイティブの言語のように猫語が話せる! というかこれをつけている間猫語以外は話せなくなるという——」
「本当につけるだけでいいにゃ? そんなにうまくいくものかにゃ?」
——いっていた。
猫耳を付け替えた途端、沖の口から出る言葉は、正真正銘の猫語であった。
「——こんにゃ——簡単に——、沖の苦労はなんだったのにゃ——?」
沖は、あまりのあっけなさに、その場にへたり込んでしまう。
今日の今日まで不眠不休で努力し、それでもできなかったことが、妙な発明品一つでどうにかなってしまうというこの不条理。
ああ、沖の努力とはなんだったのか——。
「儂の頭脳をもってすれば、どうということはないことですじゃ!」
もちろん襟在二郎はそんな沖の繊細な心持ちなど理解するはずがない。
高笑いをあげ、
「さ! それでは、もう一眠りといたしますか! 寝る子は育つですじゃ!」
その場を去っていく。
広大な地下室に、沖のみが、取り残された。
膝をついた、沖だけが、残された。
どうした、沖よ。
なぜ立たぬ。
念願叶ったではないか。
沖は猫語を習得した。
これで、生徒会のメイド喫茶は必ず成功する。
魔女喫茶にも勝てる。新聞部の予想は大外れだ。
さあ立て、沖。
いまごろはもう執行部員たちも登校しているだろう。
彼らが待っている。
輝かしい栄光に向けて、一歩踏み出すのだ。
——本当に?
そんな疑問が、鎌首をもたげる。
視線を下に向ければ、凹凸のない、どこまでも平坦な胸があるばかりであった。
沖の胸だった。
そうである。
問題は何も解決していない。
そもそもの問題はなんだった? 猫語? 違う。
胸だ。
胸で負けている。それが問題だった。
沖は乳のないままだ。
ガーネットの胸に勝つ方法など、何一つ、見いだしていないのだった。
僭越ながら、補足する。
この時、沖は疲労の絶頂にあった。
生徒会長として、超巨大学園の学園祭を導き、次から次へと持ち上がる問題を決裁し。
それと並行して、生徒会の企画のために、襟在一郎の拷問のような特訓をこなし。
さらに同時に、新兵器による悪魔迎撃作戦の準備のために自衛軍を指揮し。
さらにさらにとある事情によって精神的に不安定な少年・ユーマをそれとなく気に懸け。
そして空いた時間は、すべて猫語の訓練に使う。
ひとえに、沖の超人的な精神力が成し遂げたことであった。
ほかの人間であれば、おそらく、最初の三日で過労のあまり倒れていたことだろう。
その強い心が、猫語を習得したという安心感で、ほんの一瞬だけ、折れたのである。
ただ、それだけのことである。
それだけのことであったが——あらぬ妄想が、沖の頭を駆けめぐる。
生徒会メイド喫茶に入ってきた客が、沖を見るなり、
「乳がないな——」
と言って出て行く。もちろん向かう先は魔女喫茶だ。
レジで会計する者が
「魔女喫茶は胸があってよかったのにな」
と悪態をついて、去っていく。
メイド喫茶は乳がないがゆえに閑古鳥が鳴き、場末の居酒屋のように荒れ果て、近寄る者さえいない。片や魔女喫茶はキラキラと光輝き、地平線の向こうに届こうかという長蛇の列ができている。
学園祭の後、メイド喫茶の失敗により、生徒会は巨額の負債を抱え、執行部の女たちは夜の街へと売られ、男たちはマグロ漁船へと消えていく。それを見送るしかない落剥した沖の目の前を、金色の高級外車に乗ったガーネットたちが走り去り、その排ガスを吸い込んだ沖はケホケホと咳き込む———
すべて、妄想である。
その想像の中で、沖を侮蔑する人々は、みな日下部の顔をしていたが、それはどうでもよい。
身体疲労すれば、精神も共にやられる。
もう、どうでもいいという、沖に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。
沖は、これほど努力したのだ。
不眠不休でがんばって、ようやく猫語も習得したのだ。
けれども沖には、肝心要の胸がないのだ。
沖は、よくよく不幸な女だ。
沖は、きっと笑われる。乳のない胸を笑われる。
生徒会執行部よ、許してくれ。
おぬしらは、いつでも沖を信じた。
沖もおぬしらを、欺かなかった。
おぬしらは沖を無心に待っているだろう。
ありがとう、執行部。よくも沖を信じてくれた。
だが、沖は負けるのだ。ガーネットの胸に負けるのだ。だらしが無い。笑ってくれ。
ああ、もういっそ学園祭から逃げ出してしまおう。
自衛軍にも沖の居場所はある。部下もある。
正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。
沖は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな。
そんな自暴自棄になった自分を、ほんの少しだけ残った沖の冷静な部分が、まるで子どものようだ、と観察していた。あの頃はよかった。自分を守ってくれる父がいて。父の有能な部下達がいて。自分は、彼らに守られながら、笑っていればよかった。背負う物など何もなく、守る物など何もなく、ただ蝶よ花よと愛でられて——。
● ● ● ● ● ●
「かいちょー、起きて、かいちょー」
気が付くと、ミラがいた。
いつのまにか、仰向けになって、軽く眠ってしまったらしい。
「どうしたのさー。すごいうなされてたよ?
もう学園祭がはじまるのさ。いかないとまずいよ」
おもわず、その胸に目がいってしまう。
沖と同じく、まったくもって凹凸のない平坦な胸。
嘆きの壁。
同類相憐れむ。
この少女もまた、この乳本(しほん)主義社会のなかで、過酷な人生を歩まねばならないのだ。ただ乳がないというそれだけのことで——
ああ、なんと残酷なこの世界——。
「ミラよ。お主もわかるはずにゃ——。
しょせんこの世は、乳(しほん)が全て。
持つ物は持たざる物には勝てない道理にゃ——」
「むー、なんかバカにされている気分だー」
「そんなことはないにゃ——、沖とおぬしは所詮同類——」
そこまで言って、沖は首を振る。
「いや違うにゃ。おぬしは、まだ戦っておる。沖はもう負けたのにゃ」
何に負けた? 乳のなさに——。
「どうしたのさかいちょー! かいちょーらしくないよ! みんなが待っているじゃないさ」
「沖はもう、諦めたにゃ。
行っても、どうせ生き恥を晒すだけにゃ。いっそ——ここで潔く——」
そこまで言ったところで、突然、ミラが沖に飛びかかった。
「もみ————————————————————!」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃ——————————!!」
沖には知るよしもなかったが。
魔女・ミラには相手のもみあげの匂いを嗅ぐことで、相手の気持ちを察するという、動物的な特技があった。
この時、炸裂したのも、これであった。
「うーん。かいちょーのこれは、諦めてる匂いじゃないね。怖がってる匂いだよ」
「何を言うにゃ! 沖が何を怖がっているというにゃ?」
「そうだよ。なんで? ミラちゃんは、かいちょーをすっげーと思う。ミラちゃんは悪魔と戦うのが怖いよ。負けるのも怖いし、みんながやられちゃうのも怖い。でも、かいちょーは、いつも堂々としている。魔力とかないのに悪魔と戦ってる。だからミラちゃんも、かいちょーみたいに、かっこよく悪魔と戦えたらなーって思う。そんな、かいちょーが何を怖がるのさ?」
「ミラ——」
その言葉に、沖は思い出す。
たしかに、自分は怖がっているのかもしれない。
これは——今の自分の気持ちは、父が死んだ時にそっくりだ。
父の代わりに、はじめて悪魔の前に立った時と、そっくりだ。
もちろん、怖くないはずがなかった。
ただ——軍を指揮していた父が死んで——その代わりだけでもせねば、と思ったのだ。
自分がやらなければ、自分以外の誰かが死んでしまう、それは嫌だと、思ったのだ。
自分は、恐れず戦う父のようにはなれない。
だが、その真似だけはできる。
そうやって、幼い身で、軍の先頭で旗を振っていた。
意味もわからず振っていた。
そうするうちに、いつしか付き従う者が出てきて——今の沖がある。
「ほら。お水を飲んで? じいちゃの特製だよ」
とミラが差し出すコップの水を、言われるままに、一くち飲んだ。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
——行こう。
肉体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生まれた。
義務遂行の希望である。恥を忍んで、絆を守る希望である。
ああ、そうだ。乳の無さを笑われるのは怖い。
それは認めよう。
だが、世に乳を持たざる者は沖だけではない。
沖が逃げれば、別の者が笑われる。
それだけだ。
ならば、まずもって、世界のすべての持たざる者に先駆けて、沖がまず笑われよう。
沖がまず、斃れよう。
後に続く者がいると信じて。
やがて、持つ者も持たざる者も、いつかは平等に暮らせる世の中がくると信じて。
そうだ。
沖を、こんな胸のない沖を待っている者たちがあるのだ。
沖は、信じられている。沖の恥なぞは、問題ではない。
沖は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。
走れ! 走れ、沖。
「か、かいちょー! そんなに急ぐと転ぶって! ミラちゃんが彗で送ってあげるさー!」
そんなミラの叫びも、沖の耳には入らない。
地下室の階段を駆け上がり、一路、伊都夏大学園を目差す。
沖は信頼されている。沖は信頼されている。先刻の、あの囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。沖、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 沖は、持たざる者のために死ぬ事ができるぞ!
● ● ● ● ● ●
辿り着いた伊都夏大学園の校門。
この日のために作られたアーチを、生徒達が続々とくぐっていく。
肺も裂けよと、メイド喫茶へと急ぐ沖の前に、立ちふさがる人影があった。
襟在一郎である。
「おまちなさい」
「い、一郎殿——? ど、どいてくれ、沖は、これから——」
だが、一郎は首を振る。
「私はまだ沖様に、免許皆伝を与えてはおりません。沖様が、私の育てたメイド、執事たちを束ねるに相応しいメイドかどうか——判断させていただきます。さあ、どうぞ——私をご主人様に見立て、ご挨拶を——」
道理であった。
生徒会メイド喫茶は、選ばれた一流のメイドと執事だけが集う場。
例外はない。たとえ沖であっても。
——乱れた息を整える。
一郎の特訓を思い出す。
メイドは武人ではない。
あくまでその動きはやわらかく、しかし、それでいて完璧に計算された動作で。
——スカートの片端を掴み、上半身を軽く傾け——
メイドは娼婦ではない。
ご主人様には最大の笑顔をもって。しかし、それでいて媚びすぎず、あくまで健康的に。
——一郎、いや、ご主人様に向けて、にっこりと微笑み——
メイドは主役ではない。
だから、あくまで空気のように、内装の一部のように、あくまで自然に、ご挨拶。
「おかえりにゃさいませ——ご主人様——」
時が止まったようだった。
登校する生徒たちもまた、沖を見つめていた。
長い沈黙の時間だった。
「ど、どうにゃ——」
耐えかねて、沖が問い、
「沖さま」
そして一郎が答えた。
「私がもう少し、若ければ——貴方と共に、新たなご主人様にお仕えしたかった——」
「で、では——」
沖が言い、そして一郎は深く頷いた。
「合格です」
「か、感謝するにゃ、一郎殿!」
そう言って、執行部の元に走り出そうとする沖を、しかし一郎が呼び止めた。
「お待ち下さい——」
「にゃ?」
そして、一郎の手が、沖の頭に触れた。
「猫耳が、曲がっておりますぞ」
優しい手だ、と沖は思った。
思い出の中にある父の手も、こんなふうではなかったか、と沖は思う。
だけど、不意に生じた感傷を沖は頭を振って払う。
沖は、もう小さな少女ではないのだ。
幼き身で、何の力も持たず、何の責任も持たず、そしてそれがゆえに、なにもかもが自由だった日々——世界の過酷さも、残酷さも、絶望も知らずに暮らしていられた幸せな日々には、もう戻れない。
いまや沖は幼い少女ではない。
生徒会執行部を束ねる者だ。
自衛軍を指揮する者だ。
沖には乳もなく、また父もない。
全ての乳無き少女の代表となって戦い、そしてまた今は亡き父の代わりに戦わねばならない。
その命尽きるまで、諦めることは許されない人間。
それが沖なのだ。
「一郎殿、世話になったにゃ——」
その言葉に、なぜか一郎は、執事の礼ではなく、軍人の敬礼で、答えた——。
そうして沖は一迅の黒き疾風——いや、一匹の黒猫となって、生徒会メイド喫茶の会場へと向けて走り出した。
なお。
そうやって猫耳メイド服姿で、街を、校内を駆ける沖の姿が、伊都夏市の住民や、登校する生徒たちの間で大いに話題となり、後ほどの生徒会喫茶の大盛況に貢献したのは、言うまでもないことである。