「宮本————————————————————!!」
沖は思わず、隣室に向かって叫んでいた。
その勢いで、隣室に飛び込む。手には薙刀。
「は、はぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「貴様! この! 裏切りものぉぉぉぉぉおおおお!!」
その不届き者に向けて、沖の薙刀がきらめこうとした瞬間。
「お待ち下さい!」
一喝が、それを制した。
オールバックの銀髪に、タキシード。襟在一郎である。
数奇な運命よ、と沖は思う。
もともと一郎老人は、自衛軍の指揮官であった沖の父のもとで、参謀として働いていた人物である。その後、軍を辞めた彼は、この街では魔女・スピカの執事となり——そして現在は、その経験を生かし、沖をはじめ、執行部を面々に一流の執事、メイドとすべく、放課後の生徒会室で、鬼教官として、皆に特訓を授けている。
ちょうど今も、その特訓の最中であった。
一郎は、宮本をかばうよう、その前に立ちふさがる。
「いまは訓練中です。後にしていただきたい」
さすがは、父と数々の戦場を共にした人物である。小柄な体格でありながら、まるで巨大なクマが立ちふさがったかのような威圧感を沖は感じる。
だが無論、これしきでひるむ沖ではない。
「邪魔をしたことは詫びよう。
だが沖は、生徒会の誇りにかけて、この裏切り者を誅さねばならん——」
そう。
そもそも、沖を騙し——もとい、説得し、メイド喫茶なる企画を持ち込んだのは誰か。
沖に、あの破廉恥な格好をさせたのは誰か。
それは他ならぬ、この宮本武ではなかったか。
それが自ら率先して、魔女喫茶を支援するような発言をするとは何事か。
許せん、許せん、生かしておけぬ!
けれど、一郎は引かない。
それどころか、こう問うてきた。
「はたして、裏切っているのはどちらですかな?」
「なに!?」と、その言葉に沖の心臓が大きく鳴った。
「宮本様は今日まで私の訓練に、よく耐えてこられました。
宮本様だけではありません。
実のところ、私は、このお話をお受けした時、こう予想しておりました。訓練が終わった時、生きているのはせいぜい半分程度だろう、と。ですが、この執行部の皆々様は、私の厳しい訓練を生き残りました。もはや最終試験を残すのみ。それが終われば、どんなご主人様のもとでも、どんなお嬢様のもとでも、彼ら、彼女らは立派にその任を果たすでしょう! しかして沖様、あなたはどうか!」
「な、なんだと——!」
「学園祭を明後日に控えた今日、いまだ基本中の基本であるご主人様へのご挨拶すらマスターしてはおりません! そうですな! 他ならぬ貴方こそが、この執行部全員の献身を裏切っている! 違いますか!?」
ぐ——と、沖は詰まる。
「教官! 取り消してください!」
「会長は一生懸命やっています!」
絶句した沖の代わりに、一郎に抗議したのは、執行部の面々であった。
その揺るぎない忠誠心が、しかし、いまの沖には逆に痛い。
一郎の言っていることは、まぎれもなく、事実であったからだ。
「いいえ。取り消しません。もしも、私の言うことが間違っているというのであれば今、ここで、私を仮のご主人様として、ご挨拶していただきたい。それができれば不肖一郎、先の発言を取り消し、謝罪のために腹を切りましょう! さあ、沖様!」
沖は、一呼吸、そして——
「お、おかえりなさいませ——ご主人——」
台詞も終わらないうちに、ぎろりと一郎の視線が沖を睨む。
「あなたの猫耳と尻尾はなんのためにあるのですか?」
そう。
沖はただのメイドではなかった。
尻尾と耳がついた猫耳メイドなのである。
具体的にどういう格好をしているかは、ぜひ、本編か、小学館ガガガ文庫より好評(だと、いいなぁ)発売中のノベライズ版「スマガ」2巻を買って確かめていただきたい(そうすれば3巻も出る!)。年末年始のご挨拶、また、愛しの恋人へのプレゼントとしてもご好評頂いております。
とにかく。
猫耳メイドである。
他の女性執行部員がヴィクトリアン・スタイルの正統派クラシックメイドなのに、なぜか沖は、一人だけインチキ——もといファッション・メイド・スタイルなのである。
そして、猫耳メイドであるからには語尾には「にゃ」とつけなければならないのである。
沖は流行がわからぬ。
ゆえに、そういうものだと言われれば、信じざるをえないのが沖である。
「メイドと執事の基本は三位一体とお教えしたはずです。
服装、所作、言葉遣い。この三つが伴ってこそ、真にご主人様にご奉仕できる。猫語を話さない猫耳メイドなど、全裸の執事と同じ! そんなもの、誰がメイドと認めましょう!」
「う——わかった——」
「わかったにゃ、でございます」
が——。
「わかったったったにゃ——
おかえ、りにゃ、にゃさい、ませ——」
「接客には笑顔を忘れずに!」
「ごちゅうみょ、ごちゅ、ごみゅ——
にゃ、にゃにに——にゃにぬ——なにに、いたしま——」
「もっと、身も心も猫になって!」
そして、沖は、それができないのであった。
どうしてもできないのであった。
沖とて、一郎からの付ききりの特訓を受けている。
メイドの立ち振る舞い、これはもはや完璧と言ってよい。
なのに、言葉遣いだけが、猫語だけが、どうしても身につかないのである。
「沖様。学園祭は明後日。いまは一刻でも惜しいときではございませんかな」
と一郎。まったく正論であった。
「——すまなかった。続けてくれ」
と沖は、執行部と一郎に背を向けて、別室へと引きこもった。
そうして、一人、猫語の練習をする。
「ご注文はおそろいですか——
おそろいです——かにゃ——にゃ。かにゃ?」
けれども、やはり同じであった。
「ぬぬぬぬぬぬぬぬ————」
そうこうしているうちに日は経ち、日が暮れる。
隣室からは、一郎の声が届く。
「さて、短い間でしたが、今日で私の特訓は終わりです。本日をもって、あなた方は見習いメイドを卒業します。本日から、あなた方は本物のメイドなのです。
主従の絆に結ばれたメイドが解雇されるその日まで、どこにいようとメイドはご主人様の従僕です。多くはお屋敷へと向かうでしょう。ある者は地下室に呼ばれるかもしれません。
しかし、肝に銘じておきなさい。メイドは奉仕する。奉仕するために私たちは存在する。
しかしメイドは永遠である。つまり——あなた方も、永遠なのです!」
大きな歓声が聞こえてきた。
執行部の面々はやり遂げたのだ。
あの、これはどこかの特殊部隊の訓練か、という、一郎のシゴキに耐え、とうとう一人前のメイド・執事になったのだ。
だというのに——。自分は言葉遣い一つ、習得できずにいる。
情けなかった。
しかし、それでも沖は生徒会長であり彼らを指揮せねばならなかった。
「皆の者! 今日まで、ご苦労だった! 明日は会場設営の後、すぐに解散となる! 溜まった疲れをとるように。では——今日は、これで解散!」
自分は、その立場に相応しくないのではないか、という思いに苛まれながら、沖は、憔悴しきった顔で、執行部の面々を帰したのであった。
「会長、オレたち、信じてますから! 会長なら、できるって!」
帰り際。
執行部員達はそう言っていた。
沖のことを微塵も疑っていない顔だった。その信頼が、沖には、重かった。